2010年09月02日
清水鉄道遺産保存会
今夏の祭りに、毎年恒例の清水みなと祭りがあった。
さつき通りと呼ばれる広い道には、踊り子が汗を流して笑顔と情熱を発揮した。
その通りに以前、路面電車が走っていたことは、ご存知だろうか。
さつき通りと呼ばれる広い道には、踊り子が汗を流して笑顔と情熱を発揮した。
その通りに以前、路面電車が走っていたことは、ご存知だろうか。
七夕豪雨のあった1974年7月7日、被害を受け、廃止された鉄道。
市民を乗せて往復していた電車は、浸水で引退。
その日、検査を受けるため入場していた長沼工場で、奇跡的に難を免れた路面電車モハ65は、
清水のフェルケール博物館預かりとなっていた。
港町、清水の発展を支えたのは、いくつか敷かれた鉄道だった。
一時は、国鉄1の黒字路線だった、貨物の勇姿が見られた清水港線もその一つ。
が、昭和40年代に入り、トラック輸送が全盛期に入ってくる。
いくつもの路線がにぎやかに走っていた清水の姿は、変わってゆく。
昭和30年代には7路線もあった、その最後の一つが七夕豪雨を期に、廃止となる。
博物館に残ったモハ65は、木造の車両だった。
車体が鋼体で、内装が木造のままに改造された車両だ。
ノーシール、ノーヘッダーという、でこぼこのないつるんとした形が特徴の車両なのだそうだ。
長沼工場で私鉄が改造をするという、珍しい体験を経た車両だった。
モハ65の「モ」はモーター車両のモ、「ハ」は客車をあらわし、65型式であるという表示。
それらを教えてくれたのは、車両が活躍し、清水に鉄道が走っていたことなど知る由もない、
今年大学1年の青木渉さん。
子供のころから、親に、清水にも路面電車があったのだと聞いて育った。
中学の頃、新幹線に興味を持ち、鉄道にはまった。
当時、天竜二俣線、現在、天竜浜名湖線の車両を修復しているクラブを見つけ、参加した。
かっこいい電車のさびを落とし、窓を磨き、ペンキを塗り、かけがえのない喜びを知った。
◎天竜レトロトレインクラブ
http://trtc.web.fc2.com/
やがて清水南高校では、ラグビー部に所属。
高2のときに、部員がいなくなって廃部となる郷土研究部を引き継ぐ。
やりたいことが、やれそうだ。
青木さんは、清水港線の調査に取り掛かる。
その調査は、清水港にたちよった日本第一艦隊や、興津座漁荘にも及んだ。
対外的には「清水港線ガイドウォーク」を複数回にわたって開催している。
そして、地元の最後の車両が解体されるのを知り、保存のために、がむしゃらに動いた。
保存のための土地が必要、輸送の金がかかる、その後の保存技術が必要。。。。
とても太刀打ちのできる話ではなかった。
だが青木さんは、あきらめない。
将来は新車両を設計したい、と進んだ工科大学で、鉄道研究部に身をおきながら、
清水南高郷土研究部OBとして、卒業と同時に仲間と団体登録した、保存のための会「清水鉄道遺産保存会」で、
引き続いて、活動を続けてゆく。
熱意が奇跡を連鎖的に起こしてゆく。
天竜のリーダーに相談し、金沢の保存会に連絡が行き、JR貨物・北陸ロジスティクスが、モハ65の身元を引き受けてくれることになった。
休みを利用し、輸送、修復を繰り返し、今度の日曜、富山県の伏木ヤード祭りで、モハ65を全国のファンにも披露する。
いつかは、地元に呼び戻したい。
青木さんたちは、勉強に、青春に、血潮を燃やしながら、郷土への思いを忘れない。
彼らなら、いつかその思いを遂げるのかもしれない。
◎清水鉄道遺産保存会
http://shimizutetsudouisan.kt1399.net/
◎静岡鉄道 清水市内線モハ65修復作業レポート イベント列車&珍しい列車
http://www.uraken.net/rail/train/tr_658.html
■■■一日限りの夢の祭典■■■
現役を退いた鉄道車両がJR貨物伏木ヤード跡に集結!
見るもよし、乗るもよし、運転するもよし。
こんなイベントを待っていた!
役者は揃った!最初で最後のチャンス!
★展示車両
万葉線デ7052、デ7062、北陸鉄道金沢市内線モハ2202、北陸鉄道石川線ホム1、
ひたちなか海浜鉄道ケキ102、静岡鉄道清水市内線モハ65、その他
★開催場所 富山県高岡市伏木錦町地内JR貨物伏木駅構内
★開催日 2010年9月5日午前8時~午後5時まで
★主催 ㈱ジェイアール貨物・北陸ロジスティクス
★協賛 日本貨物鉄道㈱ 関西支社金沢支店
◎伏木ヤード祭り 金沢市電2202保存会
http://kanazawa2202.web.fc2.com/fushiki.htm
◎伏木ヤード祭り 株式会社JR貨物・北陸ロジスティクス
http://www.jrf-hokuriku.co.jp/news/news10080601.html
市民を乗せて往復していた電車は、浸水で引退。
その日、検査を受けるため入場していた長沼工場で、奇跡的に難を免れた路面電車モハ65は、
清水のフェルケール博物館預かりとなっていた。
港町、清水の発展を支えたのは、いくつか敷かれた鉄道だった。
一時は、国鉄1の黒字路線だった、貨物の勇姿が見られた清水港線もその一つ。
が、昭和40年代に入り、トラック輸送が全盛期に入ってくる。
いくつもの路線がにぎやかに走っていた清水の姿は、変わってゆく。
昭和30年代には7路線もあった、その最後の一つが七夕豪雨を期に、廃止となる。
博物館に残ったモハ65は、木造の車両だった。
車体が鋼体で、内装が木造のままに改造された車両だ。
ノーシール、ノーヘッダーという、でこぼこのないつるんとした形が特徴の車両なのだそうだ。
長沼工場で私鉄が改造をするという、珍しい体験を経た車両だった。
モハ65の「モ」はモーター車両のモ、「ハ」は客車をあらわし、65型式であるという表示。
それらを教えてくれたのは、車両が活躍し、清水に鉄道が走っていたことなど知る由もない、
今年大学1年の青木渉さん。
子供のころから、親に、清水にも路面電車があったのだと聞いて育った。
中学の頃、新幹線に興味を持ち、鉄道にはまった。
当時、天竜二俣線、現在、天竜浜名湖線の車両を修復しているクラブを見つけ、参加した。
かっこいい電車のさびを落とし、窓を磨き、ペンキを塗り、かけがえのない喜びを知った。
◎天竜レトロトレインクラブ
http://trtc.web.fc2.com/
やがて清水南高校では、ラグビー部に所属。
高2のときに、部員がいなくなって廃部となる郷土研究部を引き継ぐ。
やりたいことが、やれそうだ。
青木さんは、清水港線の調査に取り掛かる。
その調査は、清水港にたちよった日本第一艦隊や、興津座漁荘にも及んだ。
対外的には「清水港線ガイドウォーク」を複数回にわたって開催している。
そして、地元の最後の車両が解体されるのを知り、保存のために、がむしゃらに動いた。
保存のための土地が必要、輸送の金がかかる、その後の保存技術が必要。。。。
とても太刀打ちのできる話ではなかった。
だが青木さんは、あきらめない。
将来は新車両を設計したい、と進んだ工科大学で、鉄道研究部に身をおきながら、
清水南高郷土研究部OBとして、卒業と同時に仲間と団体登録した、保存のための会「清水鉄道遺産保存会」で、
引き続いて、活動を続けてゆく。
熱意が奇跡を連鎖的に起こしてゆく。
天竜のリーダーに相談し、金沢の保存会に連絡が行き、JR貨物・北陸ロジスティクスが、モハ65の身元を引き受けてくれることになった。
休みを利用し、輸送、修復を繰り返し、今度の日曜、富山県の伏木ヤード祭りで、モハ65を全国のファンにも披露する。
いつかは、地元に呼び戻したい。
青木さんたちは、勉強に、青春に、血潮を燃やしながら、郷土への思いを忘れない。
彼らなら、いつかその思いを遂げるのかもしれない。
◎清水鉄道遺産保存会
http://shimizutetsudouisan.kt1399.net/
◎静岡鉄道 清水市内線モハ65修復作業レポート イベント列車&珍しい列車
http://www.uraken.net/rail/train/tr_658.html
■■■一日限りの夢の祭典■■■
現役を退いた鉄道車両がJR貨物伏木ヤード跡に集結!
見るもよし、乗るもよし、運転するもよし。
こんなイベントを待っていた!
役者は揃った!最初で最後のチャンス!
★展示車両
万葉線デ7052、デ7062、北陸鉄道金沢市内線モハ2202、北陸鉄道石川線ホム1、
ひたちなか海浜鉄道ケキ102、静岡鉄道清水市内線モハ65、その他
★開催場所 富山県高岡市伏木錦町地内JR貨物伏木駅構内
★開催日 2010年9月5日午前8時~午後5時まで
★主催 ㈱ジェイアール貨物・北陸ロジスティクス
★協賛 日本貨物鉄道㈱ 関西支社金沢支店
◎伏木ヤード祭り 金沢市電2202保存会
http://kanazawa2202.web.fc2.com/fushiki.htm
◎伏木ヤード祭り 株式会社JR貨物・北陸ロジスティクス
http://www.jrf-hokuriku.co.jp/news/news10080601.html
Posted by Hi!ーTJ at 20:43│Comments(0)
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